تسجيل الدخولゆっくりと扉を開け、一歩足を踏み入れた瞬間、思わず立ち止まりそうになった。
高い天井に広がる、クリスタルのシャンデリア。香ばしいコーヒーの香りと、白く気高く咲き誇る大輪の胡蝶蘭。
磨き上げられた大理石の床に、自分が履いている安物のヒールの音がカツカツと不躾に響く気がして、それだけで萎縮しそうになる。
場違いにもほどがある……。
心の中で小さく呟き、緊張で強張りそうになる手を、そっとドレスの上の膝に置いた。
ここで怯んだら、一瞬で「偽物」だと見破られてしまう。
案内された席に着いた瞬間、背筋が自然と真っ直ぐに伸びた。
膝を揃えて座る。手をテーブルに乗せない。視線を落としすぎないように前を向く。
祖父に叩き込まれた所作が、体の奥から反射的に出てくる。
没落した西園寺家に残ったのは、このプライドと礼儀だけだった。
──『柚葉、どんな時でも礼儀だけは失うな。身につけた所作は、お前を裏切らない盾になるから』
まさか姉の身代わりのお見合いで、この盾に救われるとは思っていなかったけれど。
ああ、早く帰りたい──そう思い、心臓がうるさく波打ったその時だった。
ラウンジの入り口に、背の高い男の影が現れた。
黒に近い濃紺のスーツが、均整のとれた体に沿っている。
短く整えられた黒髪。彫刻のように高い鼻筋。そして、冷徹なまでに鋭い切れ長の目。
彼が姿を現した瞬間、ざわついていたラウンジの空気が、すうっと凪いだ。
綺麗な人だ、と思った。それと同時に、あ、これは敵わない、とも。
周囲の視線がさりげなく吸い寄せられる中、その男は一瞥もくれず、脇目も振らずこちらへ歩いてくる。
一歩、また一歩。近づいてくるにつれて、全身の緊張がひとつ上がっていく気がした。
──これが、黒瀬柊との最初の対面だった。
彼は私の席の前で足を止めた。上から下まで、一秒もかけずに視線が通り過ぎる。品定めでも関心でもない。ただ事実を確認する、それだけのような目だった。
「定刻通りですね」
短い確認だった。それだけで視線を手元の書類へ戻す。こちらを見ようともしない。
「……始めましょう」
向かいの席へ腰を下ろしながら、彼は当然のようにメニューを手に取った。
待つことも、愛想を作ることも、どこにもない。時間を無駄にしないための動作だけが、そこにあった。
「は……はい。西園寺……真帆です」
名乗ろうとして、喉が詰まった。自分のものじゃない名前は、やはり体に馴染まない。
彼はこちらを見なかった。
それが皮肉なのか、ただの無関心なのか、判断する材料すらなかった。
「……お飲み物は、コーヒーで構いませんか」
「は、はい」
「ブラックで」
──そう言って彼は、事前に手配していたらしいコース料理を運ばせるよう、給仕に目配せした。
確認ではなく、決定だった。
姉から「ブラック派の設定を守れ」と念を押されていたのに、こちらが口を開く前に決まってしまった。
本当はミルクを入れたかった。ひどく甘いものが飲みたかったのに。
「はい」
私は、それだけ返した。
◇
コーヒーが届く間、私は背筋を伸ばしたまま、脳内で「西園寺真帆の設定」を繰り返し確認していた。
本業はモデル。趣味は旅行と料理。苦手なものはない。
この二時間、絶対に正体を悟られてはいけない。
「ここまで、迷わずに来られましたか」
短い問いだった。
「はい。駅からのアクセスも分かりやすかったですし、素敵なホテルですね」
「そうですか。ここは打ち合わせでよく使いますが、騒がしくなくていい」
それだけだった。掘り下げない。興味も示さない。
この人は今日、一体何を確かめに来たのだろう。
やがて、上品に盛り付けられた前菜の皿が運ばれてきた。
「西園寺さん、コリアンダーは大丈夫ですか。このソースに少し入っているようですが」
グラスを持ったまま、さりげなく言われた言葉に、私は思わず顔を上げた。
コリアンダーが苦手なのは、本当のことだった。
独特の香りを持つハーブ全般がどうしても受けつけない。
しかしそれは誰に話しても「ただの好き嫌い」で終わる些細なことで、一度も気に留めてもらったことがなかった。
「……苦手です。でも、なぜ?」
「料理が運ばれてくる前に、メニューの端をじっと見ていた。それだけです」
それだけ。ほんの数秒の、視線の動きだけで。
「食事は仕事と同じです。無理なものを我慢しても、効率が悪い」
黒瀬さんはすでにウェイターを呼び、私の分のオーダーを別のものへ変えてくれていた。
お礼を言おうとした私を視線だけで制し、何でもないことのように、当然のことのように、次の話題へ移ってしまった。
これは西園寺真帆への気遣いだ。そう思おうとした。
姉の名前で受け取った気遣いなのに、なぜか自分に向けられたもののように感じてしまった。
違う。勘違いするな、柚葉。この人が見ているのは、真帆だ。
そして、ふと気づく。
さっきの動作の中で、黒瀬さんの目がほんの一瞬、私の左手に向いた気がした。
緊張したり嘘を隠そうとしたりする時、私は無意識に左手の薬指を握る。幼い頃からの、自分でもコントロールできない癖だ。
それを、この人が見ていた?
最初の瞬間から、何かが見えているのかもしれない──そう思いかけて、すぐに打ち消した。
気のせいだ。初対面の人に、そんなことがわかるはずがない。
そう自分に言い聞かせても、心臓の嫌な鳴り方は、止まらなかった。
【真帆side】柚葉から電話があったのは、夜の九時過ぎだった。『お姉ちゃん。……雅人さんが澄川奈緒さんに、私たちのことを話していたかもしれないって、柊さんが』しばらく、言葉が出なかった。「……そう」短く、それだけ返した。驚きはなかった。むしろ、どこかで予感していたことが、ようやく形になっただけだった。電話を切った後、あたしはしばらくソファに座ったまま動けなかった。雅人が、あたしを通して何かを得ていたのだとしたら。あのお酒の席での軽い一言も全部、計算の一部だったのかもしれない。思い返せば、雅人はいつも、あたしと会うたびに、それとなく黒瀬家のことを聞いてきた。『黒瀬社長って、どんな人?』『真帆の妹、大変そうだね』──何気ない会話のつもりで、全部答えていた自分が、今更ながら情けなかった。あの頃のあたしは、聞かれるたびに、少し得意になっていたのかもしれない。妹が黒瀬グループの社長と関わりがあるということを、まるで自分の手柄のように話していた気がする。でも、それを確かめる方法は、一つしかなかった。◇翌日、雅人に連絡した。『話したいことがある』とだけメッセージを送った。指定したのは、二人で最後に会ったあのバーだった。雅人は、以前と変わらない顔で座っていた。「久しぶり。まさか、真帆から誘われるとはな」「単刀直入に聞くわ」あたしは、席に着くなり言った。「奈緒さんに柚葉たちのこと、あなたが流したの?」雅人の表情が、一瞬だけ固まった。それから、ゆっくりと笑みを作った。「……何の話だよ」「とぼけないで」あたしは、まっすぐ雅人を見た。「あたしと付き合っていた時、時々、黒瀬家の内部の話をしていたこと。今になって、全部繋がった」雅人は、しばらく黙っていた。それから、小さく息を吐いた。「……勘がいいな、相変わらず」その一言に、以前なら
姉の真帆が訪ねてきてから、二日後のことだった。あの日以来、仕事にも、以前より少しだけ集中できるようになっていた。姉の言葉が、想像していた以上に、胸の支えになっていたのだと思う。◇その日の午後。柊さんから、電話がかかってきた。『澄川奈緒さんが、最初にあなたのことを知った経緯がわかった』その一言に、指先がわずかに冷たくなった。仕事中だったこともあり、周囲に聞こえないよう、廊下の隅に移動しながら電話を続けた。『取締役会の文書の件とは、別のルートだ』「別の……?」『文書自体は、伏見が持ち込んだもので間違いない。ただ、奈緒さんが、そもそもあなたに接触するきっかけになった情報──お見合いの経緯や、あなたと真帆さんの関係──それは、別の人間から出ていた』心臓が、大きく音を立てた。「誰、ですか」『雅人という男だ。真帆さんとの関係を通じて得た情報を、澄川さんに渡していたようだ』──雅人。その名前を聞いた瞬間、脳裏で雷が落ちたような衝撃が走り、幾つもの記憶が一度に繋がった。実家に帰った、五月の日曜日。母から聞いた、『真帆の元カレが、黒瀬グループの取引先に勤めている』という話。その直後、駅のホームでスマホが震え、初めて『澄川奈緒』からメッセージが届いた。……あの時、ゾワリと立った鳥肌の意味は、これだったんだ。「……その人、姉の元カレです」『知っていたのか』「確信はなかったです。でも……五月に奈緒さんから突然連絡が来た時から、ずっと嫌な予感が引っかかっていました」まさか、あの男が奈緒さんと裏で繋がっていたなんて。「でも、なぜその人が奈緒さんと繋がるんですか?ただの取引先の社員なのに」『あの男は社内での立場や夜会の人脈を使って、以前からうちの噂を追っていたらしい。澄川家に自分を売り込むための「ネタ」として、真帆さんから聞いた西園寺家の内部事情を差し出したようだ』「そんな……」
【真帆side】数日前。柚葉と電話で話した時、あの子の近況を少しだけ聞いた。柊さんのお父さんのこと、縁談のこと、柊さんに直接気持ちをぶつけたこと。あの子は「もう、大丈夫」と、いつも通りの調子で言っていた。でも、声の端に、まだ何かが引っかかっているような響きがあった。あたしには、それが分かった。昔、同じような迷い方をしていたから。「もう大丈夫」と言いながら、本当はまだ、自分の存在が誰かの重荷になっていないか、確かめきれずにいる。あの声には、そういう気配があった。伝えたいことがある。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。翌日。コートを羽織って、柚葉のアパートへ向かった。飾った言葉より、思いついたことをそのままぶつける方が、柚葉には伝わる気がした。◇【柚葉side】インターホンが鳴って扉を開けると、姉が立っていた。「お姉ちゃん、急にどうしたの」「話したいことがあって」姉は、靴を脱ぐのももどかしそうに、部屋に上がり込んできた。ソファに座るなり、まっすぐこちらを見た。「あんた、この間の電話の時、声がちょっと変だったわよ」その一言に、心臓が小さく跳ねた。「もう、平気だよ。柊さんにも、ちゃんと話したから」「知ってる。だから、来た」姉が少し照れたように、視線を落とした。「あんたが、ちゃんと自分の言葉で本人にぶつけたって聞いて。……それ、簡単なことじゃないから」意外な言葉だった。責められる覚悟をしていたわけではなかったけれど、こんな風に、真正面から認められるとは思っていなかった。「あたしはずっと、選ばれることばかり考えてた」姉が、自嘲気味に視線を落とした。「顔のこと、家柄のこと。誰かに選んでもらうために、自分を作り続けてきた。そのくせ、選ばれなかった時のことばかり怖がって……昔のあたしは、自分から誰かを選んで向き合うってことを、一度もしてこなかった」その告白めい
【柊side】城島から聞いた資金繰りの詳細は、父が語っていたよりも深刻だった。地方ホテル事業は、すでに借入の返済に窮しており、このままでは年内にも資金が尽きる。父はそれを、あえて曖昧にぼかして伝えていたのだと分かった。数日後、父が再び連絡を寄越してきた。今度は電話ではなく、正式な書面での要請だった。支援を求める内容と併せて、あの縁談の話が改めて明記されていた。『お前が頑固なせいで、関係のない人間が困るんだぞ』書面を読み終えた後、父の声が耳の奥で嫌に鮮明に蘇った。ホテル事業には、祖父の代から続く取引先も関わっている。父はそれを盾に、遠回しに脅しているつもりなのだろう。これまでの父のやり方を思えば、驚くには値しなかった。それでも、こういう形で他人を巻き込もうとする姿勢に、改めて苛立ちが募った。◇翌日、俺は父を呼び出した。「困る人間がいるなら、俺が別の形で支援する」表情を変えずに、そう告げた。「父さんの口利きは、必要ない」父は、しばらく黙っていた。それから、諦めたように小さく頷いた。少なくとも、この場での縁談の話は、これで一旦は消えたはずだった。けれど、根本的な何かが解決したわけではなかった。父が抱えている過去も、俺が抱えている感情も、まだ何も片付いていない。◇【柚葉side】その夜。柊さんから、事の経緯を聞いた。支援の話、縁談の話、そして柊さんがそれをどう退けたか。淡々と語る柊さんの様子に、ひとまず安堵した。声にも表情にも、追い詰められている気配はなかった。それでも、この一件がまだ終わっていないことは、話を聞いていれば分かった。「これで、縁談の件は一旦収まったんですか」「表向きは。ただ、父が完全に諦めたとは思っていない」その言葉に、まだ何かが燻り続けているのだと理解した。話を聞き終えた瞬間、頭の中で、別の考えが静かに立ち上がってきた。もし、
模型の部屋で見た、あの一瞬の陰り。『大丈夫だ』という誰にも向けていないような一言が、それから何日も私の頭の片隅に残り続けていた。仕事をしていても、友人と話していても、ふとした瞬間に、あの横顔が蘇った。柊さんは何も変わらない様子で日々を過ごしていたけれど、その分だけ、余計に気になった。このまま、聞かないフリを続けることもできる。触れずにいれば、今の穏やかな関係は、そのまま続いていくだろう。でも、それでは、いつか本当に大切なことを、伝え合えない関係のままになってしまう気がした。◇夜、柊さんの部屋を訪ねた。「話してください。全部でなくていいから」柊さんが、こちらを見た。何を、とは聞かなかった。何のことか、もう分かっているようだった。長い沈黙が流れた。柊さんは、答えを探しているというより、話すか話さないか、その一線をずっと行き来しているように見えた。窓の外で、夜風が木の葉を揺らす音がした。時計の秒針の音が、いつもより大きく聞こえた。どれくらい、そうしていただろう。柊さんが、指先でグラスの縁をなぞりながら、ようやく口を開いた。「父を、恨んでいるわけじゃない」やがて、柊さんが口を開いた。「ただ──信じられなくなっただけだ」「信じられない、というのは」震える声で、そっと尋ねた。柊さんが、視線を落とした。膝の上で組んだ手に、わずかに力がこもるのが見えた。「大切なものを、簡単に手放す人間を──どう信じればいいのか、わからない」その一言に、これまで見えなかった柊さんの傷の形が、初めてはっきりと見えた気がした。母の最期に立ち会えなかった父。会社を離れることになった、その原因。誠一郎さんが、今も許していないという過去。すべてが、この一言に集約されていた。十七歳という若さで母を失い、父の不在を見せつけられ、それでも人前では弱さを見せなかった。この人の中で、その時に固まってしまった何かが、今もまだ、そのままの形で残っているのか
十一月最初の日曜日。柊さんから連絡がないことを、珍しく感じていた。いつもなら、少なくとも一日一回は、業務連絡でも他愛のない一言でも、何かしらメッセージが届く人だった。心配になって、アポなしで部屋を訪ねてみることにした。エントランスで少し迷ったけれど、こういう時こそ、遠慮せずに行くべきだと自分に言い聞かせた。インターホンを押すと、しばらくして扉が開いた。柊さんは、いつものスーツ姿ではなく、シャツの袖をまくった、部屋着に近い格好だった。「珍しいですね、連絡なしなんて」「悪い。集中していて、気づかなかった」招き入れられた部屋の奥、書斎の一角に、小さな作業台が広げられていた。そこに、精巧な建築模型があった。「これ……」「前に、話しただろう。子どもの頃からの癖が、抜けていないと」大阪への出張の新幹線の中で聞いた、あの話だった。『今度、見せてください』『気が向いたら』──そんなやり取りを、覚えていてくれたのだと分かって、胸が温かくなった。「見てもいいですか」「もう見ているだろう」素っ気ない返しだったけれど、手は止まらなかった。細いピンセットで、小さな窓枠を、慎重に貼り付けている。隣に座って、その手元をじっと見つめた。木の削りかすの香り、カッターの小さな音、集中した横顔。仕事の時とは違う、静かな熱を持った表情だった。「これは、何の建物ですか」「決めていない。ただ、手を動かしていると、何も考えずに済む」あの新幹線の中で聞いた答えと、同じだった。あの時よりも、今の方が、その言葉の意味が少しだけ分かる気がした。しばらく、二人で無言のまま、模型作りを見守った。時折、柊さんが「これを持っていてくれ」と、小さな部材を渡してくる。手伝っているというより、ただ隣にいることを許されている、そんな時間だった。「集中してる時の柊さんって、仕事の時とも、私といる時とも、また違いますね」
『先程は、お時間をいただきありがとうございました。──黒瀬柊』彼からのメッセージは、それだけだと思っていた。数秒後、同じ番号から、もう一通届いた。『次回、ご都合の良い日を教えていただければ、合わせます』画面の番号を、もう一度確かめた。間違いない、黒瀬さんからだ。お見合いの書類に載っているのは、姉の連絡先のはず。さっき、私が口頭で伝えた番号──黒瀬さんはそちらに送ってきたのか。「合わせます」という一言。感情がない、と思った。温かくもなく、冷たくもなく、ただ的確だ。
それから、当たり障りのない会話が続いた。趣味のこと、好きな食べ物のこと。プロフィール帳に書くような、差し障りのない質問と回答。姉から叩き込まれた設定を頭の中で繰り返しながら、ボロが出ないようになんとか答え続けた。ところが──。「お仕事は、普段何をされているんですか?」ひどく自然に投げかけられたその質問に、張り詰めていた頭が一瞬でフリーズし、口が勝手に動いた。「広告の……プランニングを──」しまった。姉は、ファッションモデルのはずだ。「……っ、いえ。今はモデルの仕事を少しお休みしていて、その……裏方のお手伝いのようなことを」取り繕うように、慌てて言い直す。顔に熱が集まるのを感
一段階低くなった姉の声が、耳の奥に刺さった。『あたしが今の彼との話をまとめるまで、黒瀬の目を逸らし続ける必要があるの。黒瀬家とうちの家、色々と込み入った事情があるのよ。あんたが勝手に終わりにして、黒瀬側から実家に何か連絡でもされたら、全部おじゃんになる。わかる?』「わかってる。でも──」『断るなら、五年前のこと、全部バラすから』返事も待たず、音が消えた。また、五年前のことで脅されてしまった。昔から、姉は私の弱いところを探すのが上手かった。私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
「あなた、西園寺真帆さんじゃありませんよね?」その一言で、心臓が止まった。白いカップを持つ指先から、血の気が引いていく。震えそうになる手を悟られないよう、私はそっとカップをソーサーへ戻した。小さな陶器の音が、静まり返ったカフェにやけに大きく響く。どうして?どうしてバレたの?「……何のことでしょうか」かろうじて笑みを作る。けれど、目の前の彼は微笑みもしなかった。「無理に誤魔化さなくて結構です」向かいに座る男──黒瀬グループの社長である黒瀬柊は、こちらをまっすぐ見ていた。責めるでもなく、怒るでもなく。ただ静かに、"真実"だけを見







